2010年03月08日(月)
溶姫と赤門 [歴史]
寒いと言っても一時ほどではない東京です。
それよりも、結露の方が気になる私です。
さて、忘れていたわけではありませんが、またもや間が空いてしまったこの話。やっとこです。
家斉公の数多い子女の一人溶姫(やすひめ、ようひめ)。
以前書きましたが、東大の赤門と非常に縁の深い女性です。
縁が深いというよりも、あの赤門は溶姫のために作られた御守殿門なのです。
1813年3月27日に家斉公と側室・お美代の方(専行院)の間に生まれました。
1827年に加賀藩主・前田斉泰と結婚。この時、建てられ現在も残っているのが東大の赤門です
結婚後、溶姫自身は加賀藩にとけ込もうとしたと言う説と、夫を軽んじていたという話と両方あり、定かではありません。
しかし、ここでいくつかの出来事がありました。
嫡子・犬千代(後の慶寧)を、母・お美代の方が将軍継嗣にしようとした事件や、溶姫自身が、喬心丸(後の池田慶栄)を鳥取藩に幕命と言うことにし、無理矢理養子縁組させたとの話があります。
とどめが、溶姫が実母のお美代の方を引き取り、その費用が藩財政を圧迫していたなど、加賀藩中の恨みを一身に受けることになったのです。
時は幕末に近い時代。幕府にとっても、加賀藩にとっては大変だったのではないかと想像します。
将軍家の嫁いだ娘と、その身内に振り回される幕府、加賀藩。はっきり言って、それどころではなかったはずです。
お気の毒様であったのだろうなぁ・・と勝手に想像するばかりです。
Posted by ao at 21時56分 Comment ( 0 )

