2012年05月17日(木)
エリザベス2世陛下、戴冠より60年 [歴史]
現在、天皇皇后両陛下は、英国のエリザベス2世陛下の即位60周年記念の式典への出席のために、訪英中です。
天皇陛下は、59年前の戴冠式にも参加しており、思い入れが大変深いように報道されています。当になのでしょうね。
海外の王族で、その戴冠式に出席し、今回の式典へ出席するのは、陛下とベルギーのアルベート国王のみと言うお話です。すごい話ですね。
さて、そのエリザベス女王ですが、グレートブリテンおよび北部アイルランド連合王国、イギリス連邦王国の女王と即位したのは、1952年2月6日です。1953年6月2日にウェストミンスター寺院で戴冠式を行いました。この模様は、世界各国に放送されたので、映像や写真が残っています。特に、写真は、色々な本に掲載されており、その美しさを知る方多いことでしょう。60年前に誕生した、若く、美しい女王が、60年後の今現在、年齢を重ねても、国民に愛され、慕われていると言うのは、すばらしいことだと思います。
誕生時、父は、ヨーク公であり、伯父エドワードの血統による継承が考えられていました。エリザベス女王は、即位するとは、思われていなかったのが、伯父エドワード8世の突然の退位により、推定王位継承者となり、そして、結果的に、即位となりました。
俗に言う、「王冠をかけた恋」が、もたらした結果ですが、父ジョージ6世の御世も含め、国民にとっては、大変に理想的な君主ではないのかと思います。
すばらしい君主が二代続いたと言うのは、国民にとっても、すばらしいことだと思うのです。
今回、60周年を迎えますが、女王陛下には、まだまだ、お元気にすごされる事を願うばかりです。
Posted by ao at 22時21分 Comment ( 0 )
2012年05月16日(水)
「ボー・サンシー」落札 [歴史]
カテゴリーは歴史であっているのだろうか?
今日の話題は、時事通信のニュースからです。
400年の歴史、7億7000万円=欧州王族の秘蔵ダイヤ―スイスで競売
フランス国王アンリ4世の王妃マリー・ド・メディシスら、ヨーロッパ各地の王族に約400年にわたって受け継がれてきた大粒ダイヤ「ボーサンシー」が15日、ジュネーブでサザビーズのオークションに掛けられ、予想最低落札価格の5倍近い904万2500スイスフラン(約7億7000万円)で落札された。
著名なダイヤモンドの一つである、「ボー・サンシー」が、落札されたんですねぇ。
16世紀後半にダイヤモンドのコレクターであるボー・サンシーはイスタンブールで手に入れたことから、この名前がつきました。インドのゴルコンダ産と伝えられます。洋梨形の形をしていることと、その後、フランス王家に伝わったのが、良く知られていることです。
こういった有名な宝石には、歴史が付き物ですが、「ボー・サンシー」も、その例に漏れません。
フランス国王アンリ4世が、王妃マリー・ド・メディシスのために購入したと言われ、その後、マリーが、息子・ルイ13世の摂政となった時の戴冠式に使用されたのが、この宝石の最も有名な話です。その後、イギリス王室、プロイセン王室をなどを転転しますが、これは、宝石にはよくある話。王室、王族、貴族の間を相続や、贈答などで行き来したのでしょう。
そのボー・サンシーが、今回、落札され、その価格にもより、広く知られることとなりました。落札したのは、いったいだれなのでしょうね?カリナンのように、王室所有であれば、一般公開や、戴冠式などで見る機会などもありますが、個人所有だと、それは、難しいことです。落札者は誰なのでしょう・・・。
Posted by ao at 23時36分 Comment ( 0 )
2012年05月15日(火)
犬養毅 [歴史]
今年は、五・十五事件から80年にあたります。
この事件により死亡したのが、当時の首相・犬養 毅。
昭和史の中でも、二・二六事件と並ぶ、軍部による暗殺事件です。
さて、この犬養毅、事件が80年目と言うこともあり、今年が、没後80年にあたります。(当たり前ですが)
現在の岡山県岡山市の旧家である、家系に1855年4月20日に誕生します。生家は、大庄屋であり、父は、郡奉行を勤めたほどでした。
明治維新後、上京し、慶應義塾に入学しました。その後、記者から政治家へとなり、第29代の内閣総理大臣となります。その在任中に起きたのが、五・十五事件であり、首相官邸で、海軍の将校により、銃撃を受けて、その晩に亡くなりました。最初に到着していた海軍将校と話をするために応接室に居た時に、後から到着した将校により、銃撃され、その後、最初の将校に銃撃され死亡しました。即死ではなく、夜まで息があり、また、銃撃直後には、駆け付けた女中に「今の若い者をもう一度呼んで来い、よく話して聞かせる」と話したとも言われています。
また、孫文らと交流があったのは有名な話です。
犬養毅というと、どうしても、この事件が思い浮かびますが、それは、やはり、この事件の重大性と、事件により、落命したからなのでしょう。
Posted by ao at 21時50分 Comment ( 0 )
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