2009年01月06日(火)
将軍生母 [歴史]
ネタ切れと言うわけでもありませんが、先日まで書いていた徳川将軍の御台所を書き終えて、次は何を書こうと勝手に思ってしまいました。真剣に考えたんですよ〜、マジで。
考えた結果、御台所続きで、今度は、将軍生母になった方を書こうと思ったんです。一部、書いている方もいるので、せっかくなのでと言うところです。
将軍生母はほとんどが側室です。正室所生は、初代家康公、三代家光公、15代慶喜公だけです。特に、御台所所生となれば家光公のみ。また、公家出身を生母に持つのは、十代家治公と15代慶喜公のお二方です。
とりあえず、一覧を・・・
初代家康公生母 於大の方(伝通院) 水野忠政女
二代秀忠公生母 お愛の方(西郷局・宝台院) 戸塚忠春女・西郷清員養女
三代家光公生母 於江与の方(崇源院) 浅井長政女、豊臣秀吉養女
四代家綱公生母 お楽の方(宝樹院) 青木利長女
五代綱吉公生母 お玉の方(桂昌院) 北小路宗正女
六代家宣公生母 お保良の方(長昌院) 田中治兵衛女
七代家継公生母 お喜世の方(左京局・月光院) 勝田玄哲女・矢島治太夫養女
八代吉宗公生母 お由利の方(浄円院) 巨勢利清女
九代家重公生母 お須磨の方(深徳院) 大久保忠直女
十代家治公生母 お幸の方(至心院) 梅渓通条女
11代家斉公生母 お富の方(慈徳院) 岩本正利女
12代家慶公生母 お楽の方(香淋院) 押田敏勝女
13代家定公生母 お美津の方(本寿院) 跡部正賢女
14代家茂公生母 お美佐の方(実成院) 松平晋女
15代慶喜公生母 吉子女王(登美宮・貞芳院) 有栖川織仁親王女
側室から、生母となった方の出自に関しては、異説もありますが、とりあえず、伝わっている出自にしておきました。
そのうち書き始めましょう!
Posted by ao at 21時45分 Comment ( 0 )
2009年01月05日(月)
大河ドラマ「天地人」 [歴史]
大河ドラマ「天地人」始まりましたねぇ。
初回の視聴率、良かったようですね。NHKもホッとしている事でしょう。問題はこの後でしょうけどね。
さて、この天地人。直江兼続を主人公にしています。
やっぱりきたかと思ったのは、始まりの愛の兜ですね。
上杉神社にある直江兼続の兜の前たては愛の字なのです。有名な兜です。しかし、今回の最初では?に陥りました。
もしかして、今回のNHKあの愛の字の意味を取り違えている?今の愛とは違うと言う事をわざと取り違えているのでは?なんて思ってしまいました。
失われつつある日本人の義と愛を描きます。なんて、HPにも書いているNHK。郷土愛や人への愛がうんぬんなんても書かれています。そういう部分があってもいいけれども、愛染明王、愛宕権現への信仰からと言うのが一番言われている説ですが・・まあ、そういった信仰云々だけだと面白くはないですからねぇ。
でも、NHKが言うあたりだけを前面に出すと、途中からきつくなるのではないかと思ってしまいました。ただでさえ、マイナーな武将でもあるし、全国的な知名度エピも少なく、結果的に言えば、五大老の一人でもあり、120万石までなった上杉家を30万石まで落としたんですからねぇ。
まあ、頑張って頂戴の世界です。
しかし、与六役の子はかわいかった。
Posted by ao at 21時57分 Comment ( 2 )
2009年01月04日(日)
酒井抱一 没後180年 [展覧会]
他愛もないことですが、ずっと悩んでいる事があります。
没後、生誕何年ってありますよね。西暦で表せるのはいいのですが、旧暦から割り出す場合、11月末から12月にかけての場合って難しいんですよね。(自分で割り出しているわけではありませんが)西暦から換算すればきりのいい数字ですが、そこで日にちを入れるとなると非常に難しい・・・避けて通れるものは避け、たまたまニュースなどで今年は何年ですなんてやっていれば、それに習えだったのですが、そういったのがない場合ってどうなのか?と悩んでいました。
皆さん、どう思いますか?
さて、話は変わり、江戸時代の琳派の画家である、酒井 抱一(さかい ほういつ)。姫路藩主の次男に生まれながらも絵師となった人物で有名です。それも当時としても、また現在に至るまで有名な絵師であり、その作品は現在、重文などにも指定されているものもあるほどです。
この、酒井抱一が亡くなってから今年で、180年なのです。しかし、それは新暦に直すとなのです・・・
旧暦では、文政11年11月29日。新暦だと1829年1月4日に亡くなっているのです。悩んだ末に、新暦をそのまま使いました・・・。つまり、今日の出だしは、このことを言いたかったのです。
酒井抱一の本名は忠因(ただなお)。
1761年8月1日、神田小川町の姫路藩別邸にて藩主世子酒井忠仰の次男に生まれます。若い頃から俳諧、狂歌、浮世絵などに才能を発揮していたと言います。
当時の姫路藩は、兄・忠以も茶人と知られ、藩邸は文化サロンのようになっていたと言います。そのため、抱一もその才能を生かせたと言う事もあります。
尾形光琳に私淑し、光琳の事績の研究や顕彰に努めたといいます。そのため、琳派の装飾的な画風を受け継いでいます。また、そこに、円山四条派や土佐派、南蘋派や伊藤若冲などの技法も積極的に取り入れ、独自の洒脱で叙情的な作風を確立します。昨年の大琳派展にも多くの作品が展示されていました。良かったなぁ・・・今度は、抱一だけの回顧展と言うのをどこかでやってくれないかと思うばかりです。
Posted by ao at 22時03分 Comment ( 0 )
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